福井県は日本一の「在来種そば王国」だ
写真と文 片山虎之介
【福井の蕎麦名人、その神わざ】
北陸新幹線が開通して、今、関東の蕎麦好きたちは色めき立っている。福井に手が届くところまで、新幹線が伸びたのだから、無理もない。
なぜ、福井県なのか。
それは蕎麦好きならば、言わなくてもわかる。
福井県は在来種の聖地。日本を代表する「在来種そば王国」なのだ。
食文化の多様性と歴史の重さから見て、日本の蕎麦処の筆頭に挙げられるのは、やはり信州だろう。
次いで、蕎麦と粋の美学が結びついて、孤高の蕎麦食文化が花開いた江戸、東京。
だが、そこから西に目を転ずれば、信州、江戸にひけをとらない蕎麦処、福井がある。
福井は、在来種の蕎麦王国だ。蕎麦好きなら、その名を聞いただけで目尻が下がる丸岡在来、大野在来、今庄在来、美山在来など、綺羅星のごとく並ぶ福井在来種の名前は、枚挙にいとまがない。
2016年の現在、これだけのスケールで、食味に優れた在来種のソバを栽培している土地は、他に例を見ない。福井は、日本蕎麦本来の味を今も維持する、古き良き時代のソバ「在来種」を味わい、そのうまさに感動できる、かけがえのない蕎麦の聖地なのである。
福井在来は、うまい。
その事実は、日本中のこだわりの蕎麦店が、先を争うように福井在来を使うことで、すでに証明済みだ。
しかし聞くところによると福井県の人々は、いちばんおいしい蕎麦は、県外には出さずに、自分たちで食べてしまうらしい。だから、福井県を訪ねれば、福井の蕎麦好きが秘蔵している、極上の蕎麦に会えるかもしれない。
福井では、どのようにして蕎麦を食べているのか、まずはそれを検証してみよう。
「福井の蕎麦」といった場合、歴史を踏まえて言うならば、厳密には伝統の蕎麦打ち技法「一本棒・丸延し」で打った蕎麦のことを指す。
江戸の昔から福井では、この打ち方で蕎麦は打たれてきた。
右の写真は、福井県越前市の蕎麦名人、塩田弦夫さんの妙技である。
江戸の蕎麦の打ち方では、蕎麦を切る際、「駒板(こまいた)」という、定規の役目をする木製の道具を蕎麦生地の上に置き、それに包丁を沿わせて、蕎麦を切る。
しかし、福井の伝統の打ち方「一本棒・丸延し」では、駒板を使わず、自分の手に包丁を沿わせて、蕎麦を切る。手駒(てごま)と呼ばれる技術だ。
塩田さんは、目にもとまらぬ早さで、手駒で蕎麦を切る。
となりで見ているほうが、その危うさに息を止めるほどだ。
しかし、塩田さんは、今まで一度も、指を切ったことはないという。
いったい、どれだけ修行を積めば、こんなことができるのだろう。
この技を目の当たりにすると、プロというのは、まさに神わざを行う人のことなのだと、感動すらおぼえる。
福井の蕎麦は、このように、地元の蕎麦を知り尽くした名人たちが、日本一うまい蕎麦を日本一の技術で作っているのだという誇りを胸に、日々、打っているのである。
神わざで生み出される伝統の一枚は、関東から日本列島の脊梁山脈の向こう側にある福井まで、新幹線に乗って、わざわざ食べに行くに値する、妙なる味わいの蕎麦なのである。
【福井そばの、美学を語る】
江戸では「粋」や、「わび」「さび」の価値観と、蕎麦の食文化が結びついたが、福井では、ちょっと違う。
福井の蕎麦に大切なものは、「粋」ではなく、「うまい」だ。
「わび」よりも「うまい」であり、「さび」より先に「うまい」がくる。
とにかく蕎麦は「うまい」ことが、福井では何より優先するのだ。
もちろん、福井の蕎麦には美学がある。越前焼の浅鉢(さばち)に蕎麦を盛り、やや太めであることが福井の蕎麦の「美学」だ。細すぎてもだめ、太すぎても違う。やや太めであることが、外せない条件なのだ。
蕎麦の太さは、言うまでもなく食味に直結する。口に入れたときの食感、歯を当てたときの弾力、大根おろしとともに咀嚼(そしゃく)したときの、もちもち感。福井においては、「美味」であることこそが「美学」なのだ。
越前おろし蕎麦は、おいしい。
すべての物語は、そこから始まるのである。
福井そばを愛する人たちは、うんちくを語るのが好きだ。
蕎麦の食べ方や、蕎麦打ち技術の巧拙(こうせつ=じょうず、へた)。季節による大根の味の変化と選び方。さらには、ブレンドの秘訣。町ごとの蕎麦の食べ方の違いや、蕎麦と薬味と汁の工夫、等々。蕎麦好きが顔をあわせると、こうした話に花が咲く。
それは食文化を伝えることであり、伝統を語り継ぐ行為である。
福井のそばの味の良さは、このようにして守られ、次の世代に受け継がれていくのだ。
【福井には多彩な蕎麦食文化がある】
福井では、どの町に行っても蕎麦屋がある。
人々は、毎日、そこに集う。
蕎麦がなくては、一日が始まらない。
蕎麦好きの目から見ると、まるで蕎麦屋を中心にして町が動いているようにさえ感じる。それほど蕎麦屋は、福井の人々にとって大切なものなのだ。
店に入ると、黙々と蕎麦を食べる人たちの背中が並んでいる。背中が「うまいうまい」と、声なき声を発しているのを感じる。
これが、福井の蕎麦屋の風景だ。
その人たちの間に腰を下ろし「おろし蕎麦、ひとつ」と、メニューも開かず、簡潔に注文するのが、福井の蕎麦通なのである。
福井といえば「越前おろし蕎麦」と、条件反射のように名前が出てくるが、福井にあるのは「越前おろし蕎麦」だけではない。盛り蕎麦もあれば、種物もある。おなじ「おろし蕎麦」という名前でも、町によって食べ方が違う。もちろん、使っている蕎麦の材料は、おらが町の在来種であることは、言をまたない。
だが、季節により、あるいはその年の収穫の様子により、北や南から材料が運ばれてくることもあるが、福井の蕎麦職人の手にかかると、それらのすべてが福井の味になってしまうから不思議だ。子供のころから蕎麦を食べて育った、福井の蕎麦職人の、これも神わざなのかもしれない。
福井の町の随所にある蕎麦屋の暖簾をくぐり、店が自慢の蕎麦の味を確かめていただきたい。
「萩乃茶屋」(越前市)
↑一本棒・丸延しの名人、塩田弦夫さんの打った蕎麦は『萩乃茶屋』で味わうことができる。本来福井の伝統の蕎麦は、現代の流行の蕎麦と比べると比較的やわらかいが、『萩乃茶屋』で供する蕎麦は、手打ちする塩田さんの好みもあり、かなりやわらかめの蕎麦に上がっている。その優しい食味に惹かれて店に通う人も多い。「心がほっとする、癒しの蕎麦です」と、評する人もいる。優しい蕎麦のおいしさを知ると、蕎麦には幅広いおいしさの世界があるのだということに気がつく。
(●都合により、しばらくお休みしています)
萩乃茶屋/福井県越前市小松1-6-16
電話 0778-22-1686
営業 11時30分~19時30分
定休 水曜
「笏谷そば」(福井市)
↑伝統的な福井そばの味を伝える店の一軒。優しい食味の蕎麦は、地元の在来種の風味が、どれほど秀逸なものであるかを、はっきり教えてくれる。店主は研究熱心な人で、通常の福井蕎麦のメニューのほかに、刺身を贅沢に使ったメニューも用意するなど、蕎麦の楽しみ方を幅広く提案してくれる。何度も足を運びたくなる蕎麦店だ。
笏谷そば/福井県福井市足羽4-5-10
電話 0776-36-0476
営業 11時〜20時
定休 火曜
以上の名店に加えて、別ページで、福井蕎麦の未来を背負って立つ、若い主人の名店を、2店ご紹介しよう。
「たからや」(写真をクリックすると紹介ページにリンクします)
【福井の在来種は、町ごとに、味に個性がある】
「福井でいちばん旨い蕎麦は?」と福井の人にたずねると、「うちの町の在来種がいちばん」という答えが、間違いなく返ってくる。わが町の蕎麦への愛着の強さがうかがえる。
他の地域から訪れた私のような旅人が、蕎麦を食べてみると、いずれの町の蕎麦屋も、それぞれに個性があって、おいしいと感じる。これだけあちこちの店に入って、外れのない土地というのは、ほんとうに珍しい。
それには理由がある。
福井の人たちは、日常的に蕎麦を食べる。だから蕎麦の味には、すごく厳しい。
蕎麦屋も真剣にならなければ、舌の肥えた福井の蕎麦通は、店に来てくれなくなる。結局、難のある店は、暖簾をおろすことになるため、残った蕎麦屋はどこもおいしいという結果になる。
厳しい淘汰が、福井の蕎麦のうまさを守っている。
すべては、福井の人たちが、真の蕎麦好きであるところから生じる現象だといえるのだ。
【年に一度、正月より盛り上がる「そば祭り」】
毎年、秋、新蕎麦が出回る時期になると、福井の人たちが、首を長くして待ちこがれている「ふくい新そば祭り」が開かれる。
この日は、県内各地から、味自慢の蕎麦打ち団体が「ふくい新そば祭り」の会場に出店し、魂を込めた蕎麦をふるまう。それを味わうことを楽しみに、福井の人たちは、会場に集まるのだ。
今年も、11月22日から二日間、福井市でそば祭りが開催され、5万人の蕎麦好きでにぎわった。
この会場で、同時に行われたのが、アマチュアの蕎麦打ち愛好家が全国から集まって技を競う「第20回全日本素人そば打ち名人大会」だ。歴史のある大会で、今回は20年目となり、北海道や九州など、日本各地から、52名の腕自慢が集まった。
厳しい審査の戦いを勝ち抜いて、最終的に第20代名人として認定されたのは、埼玉県の関崎泰博さんだ。蕎麦打ち歴15年の達人だという。
ちなみに準名人は、茨城県から参加した佐藤 歩さんと、地元福井県の板津 明さん。優秀賞には、北海道の沼田利幸さん、富山県の舟上陽子さん、茨城県の掛札久美子さんが選ばれた。
同じ会場で、第20回大会記念企画として「高校生そば打ち披露」も行われた。福井県内の「福井県立科学技術高等学校」と「啓新高等学校」の高校生12名が、熱気あふれる会場に立ち、蕎麦打ちを披露した。
参加した高校生は、誰もが1年ほどの経験しかなかったが、慣れた手つきで見事な蕎麦を打って、観客から万来の拍手を浴びていた。
この二日間、「ふくい新そば祭り」の会場は、普段の生活には見られないほどの高揚感に包まれたが、その原動力となったのは、まぎれもなく、福井の人たちの蕎麦に対する熱い思いであった。