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年越しそばの由来


     写真と文 = 片山虎之介 (蕎麦研究家、蕎麦Web編集長)

 年末の帰省の列車が混雑しているというニュースを耳にすると、いつも、ちょっと甘酸っぱい懐かしさに胸が包まれ、仕事をしている手が止まります。
 子供のころに過ごした故郷の風景が、風が吹きすぎるときの肌ざわりや、闇の彼方から聞こえてくる除夜の鐘の響きと共に、目の前に浮かんでくるのです。
 また、年越し蕎麦の時期になりましたね。

 一年の締めくくりに、私たちは蕎麦を食べます。
 蕎麦ではなく、うどんを食べたり、地方によっては、蕎麦は元旦に食べるというところもありますが、一般的に年越しには蕎麦を食べる地域が多いようです。
 なぜ、年越し蕎麦の習慣は、ここまで広まったのでしょうか。
 誰が最初に言い出して、それがどのように広まっていったのかと想像してみると、なかなか興味深いものがあります。

年越しそばの起源についての、いろいろな説

 年越し蕎麦の由来について、ネットなどに書き込む人が資料にするのは、多くの場合、新島繁さんの著書『蕎麦の事典』です。  この本は、現在、講談社から文庫本が発行されていて、本屋さんで手に入ります。光栄なことに、私、片山が、講談社版『蕎麦の事典』の解説を書かせていただいています。

 新島繁さんは年越しそばの起源について、この本の中に、概ね次のように記しています。
 

・年越し蕎麦は、江戸時代から庶民の間に定着した食習慣である。

・鎌倉時代、博多の承天寺で、年の瀬を越せない町人に、「世直しそば」と称して、そば餅をふるまったところ、翌年からみな運気が向いてきたため、大晦日に蕎麦を食べるならわしが生じた。

・室町時代、関東三長者のひとり、増渕民部が、大晦日に無事息災を祝い、家人ともども「そばがき」を食べたのがおこり。

・そば切りは、長くのびるので、延命長寿や、身代が細く長くのびるようにと願う形状説。

・逆にそばは切れやすいから、旧年の労苦や災厄を、きれいバッサリ切り捨てようと「縁切りそば」「年切りそば」を食べた。

・金銀細工師が散らかった金粉を寄せるのにそば粉を使うため、金を集める縁起で始まった。

・『本朝食鑑』に「蕎麦は気を降し腸をゆるくし、よく腸胃の滓穢積滞を錬る」とあり、新陳代謝により体内を清浄にして新年を迎えるという、そば効能説。

・ソバは少々の風雨に当たっても、翌日、陽がさせばすぐ起き直る。それにあやかって、来年こそはと、食べるという説。

            -『蕎麦の事典』(講談社)より、概略を引用-


 面白いのは、年越しそばの起源として、「そば餅」をふるまったとか、「そばがき」を食べたと書かれたものがあることです。
 これは、蕎麦切りが食べられるようになるより前の時代の出来事と解釈することもでき、ある意味、この説の信憑性に、ちょっと重みを加えたりしています。

 しかし、「諸説ある」ということは、言い換えれば、「良くわからない」ということでもあるのです。
 起源についての諸説というものは、あとの時代に作って、こじつけられることも多く、これが本当の由来なのだと言い切ることは、なかなか難しいのです。

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 これ以外にも、年越しそばの起源についての説は、いろいろありますが、それらを調べていくと、どの説にも共通する、似かよった部分があることに気づきます。

 それは、年越し蕎麦を食べる理由として、多くの場合「蕎麦を食べると幸せになれる」という縁起に結びついている点です。
 縁起とは「前触れ」のことです。つまり「蕎麦」は、「幸せ」の前触れです。「蕎麦」を食べると、そのあとで「幸せ」が訪れるのです。

昔から、蕎麦は、人に幸せを運ぶ食べものだと、考えられてきました

 我が国の歴史に初めて蕎麦が登場するのは、養老6年(722)年に発せられた元正(げんしょう)天皇の詔(みことのり)です。  その内容は、今年の夏は雨が少なくて稲の実りが悪いので、蕎麦や大麦、小麦を植えて、飢饉に備えなさいということでした。

 つまり、蕎麦は初めて歴史に登場したそのときから、飢えに直面した人々を救済する役割を担った食べ物だったのです。
 蕎麦が人に幸福をもたらすという考え方を、多くの人が信じるのは、人々が困難に直面したとき、蕎麦が助けてくれたという出来事が、長い歴史の中で何度も繰り返されてきたからだと思います。
 
 蕎麦が飢饉に困窮する人々を救う切り札として、興味深い提案をしたのが、江戸後期の蘭学者、高野長英でした。
 蕎麦研究家であった新島繁さんによると、高野長英は、天保7年(1836)に著した「救荒二物考」の中で、播種してから約50日で熟して、一年に3回収穫できる早熟な蕎麦について詳しく記しているそうです。

 一年に3度収穫できるこの蕎麦を栽培して、備蓄しておけば、食料に余裕ができ、大きな飢饉になっても対応できる。この蕎麦は天下の宝であると書いているのです。
  
 高野長英が、これを書いのは、まさに天保の大飢饉の真っ最中でした。冷害や長雨などの異常気象が続いて作物が実らず、飢餓で村が全滅するような惨状が日本各地に広がっていました。
 荒れた大地に蕎麦の種を蒔いた人々は、どんな思いで、その成長を見守っていたことでしょう。
 これによって命を繋ぐことができた人も、少なからず、いたはずです。
 
 かろうじて飢饉を乗り越えた人々が、いつかまた蕎麦を食べたとき、蕎麦はまさに人に幸せを運んでくれる食べ物だと、心の底から思ったことでしょう。
 だから東北地方の古い農家の天井から、飢饉のときの非常用食料、非常用種子として、俵に詰めた江戸時代の蕎麦が発見されたりするのです。

 蕎麦は、人知の及ばない災害に見舞われたときの、一家の守り神ともいえる存在だったのです。蕎麦とは、ありがたいものだと、親は子に伝え、子は孫に伝えたに違いありません。
 このような、蕎麦と日本人との特殊な関係が根底にあって、蕎麦を食べると幸せになれるという考え方が、人々の心の中に根付いていったのではないでしょうか。

 一年の締めくくり、あるいは初めに、人々は幸せの象徴である蕎麦を食べながら、これまでの無事を感謝し、これからの年の幸福を願ったのです。
 年越し蕎麦の由来については、いろいろな説がありますが、以上が、いわば片山虎之介の説なのです。

年越しそばと「晦日そば(みそかそば)」

 老舗の蕎麦店のご主人のお話では、つい最近まで、毎月、月末に、みんなで蕎麦を食べる習慣が、日本にはあったそうです。その名は「晦日(みそか)そば」と言いました。

 毎月の最後の日を「晦日(みそか)」といいます。そして一年の最後の日が「大晦日(おおみそか)」です。この大晦日に「晦日そば」を食べる習慣だけが、年越し蕎麦として残り、毎月食べる「晦日そば」は、忘れられてしまったのです。
 蕎麦は、おいしいし、健康にも良いし、何よりも幸せの前触れです。
 こんなすばらしい食べ物を、年越しに食べるだけで終わらせてしまっては、もったいないですね。
 ぜひ、毎月の月末にも、"年越し蕎麦"ならぬ"月越し蕎麦"の「晦日そば」を召し上がってください。
 そして、毎月、幸せになりましょう。
 蕎麦は一年に12回、あなたに幸福を運んできてくれるに違いありません。


 なお、「年越しそば」については、片山が、小学館発行の雑誌「サライ」のサイト、「サライ.jp」にエッセイを書いています。そこに「運そば」説についての解説も書きましたので、よろしかったら、ご覧ください。


「サライ.jp」にリンクします。
http://serai.jp/gourmet/soba/katayama/13951
 

 

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