HOMEMagazine冬の寒さを越した春の蕎麦 > 会津蕎麦の時代がやってきた/片山虎之介=文

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特製豆腐や大根おろし、梅干しなどヘルシーな食材を組み合わせたおろし奴そば 1280円 桐屋

江戸の昔、会津の蕎麦は、米にも負けないご馳走だった。贅沢な蕎麦食文化が、今も残る

 日本には蕎麦の美味しい地域が何カ所もあるが、会津はその中でも特筆すべき地域だといえる。なぜなら会津には、蕎麦を贅沢なご馳走として楽しむ食文化が存在するのだ。
 会津以外の他所の地域で蕎麦は、冷害などで米が不作のときの救荒作物でしかなかった。米ができないから仕方なしに食べる作物、それが蕎麦だった。だから、会津以外の山間地を訪ねると、「お客さまに蕎麦なんか申し訳なくて出せません」という言葉を今でも耳にすることがある。そういう土地では江戸の昔、蕎麦は貧しい、恥ずかしい食物でしかなかったのである。

 同じ時代、花のお江戸では、事情はまったく異なっていた。蕎麦は当時、庶民の間に大流行した粋な楽しみであり、小腹が空いたときに手繰る、ちょっと贅沢な趣味食だった。
 歌舞伎の舞台では二枚目の役者が蕎麦屋のかつぎ(出前持ち)を演じ、浮世絵の題材にもなった。いわば時代の花形の食べ物が蕎麦だったのである。

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会津磐梯山の麓、赤いソバの花が咲き乱れる会津盆地

 そういう意味では、会津は江戸に似ている。会津盆地という我が国有数の穀倉地帯を抱え、高品質の米が豊富にとれた会津では、食に不自由することが少なかった。
 そうした暮らしの中で、人々は蕎麦の風味を愛し、米にもひけをとらないご馳走として、美味しく食べるために様々な工夫をした。
 会津には、結婚式の披露宴で、客に蕎麦を振る舞う「後段の蕎麦」という習慣がある。その際、客をもてなす側の人が「蕎麦口上」という、蕎麦をほめる言葉に、おもしろおかしく節を付けて唄う。男性が長襦袢(女性用の着物の下着)をまとい、身振り手振りもおかしく演じるのだ。宴席の興奮は、これで最高潮に達する。この蕎麦口上、地域ごとに、実に多くのバリエーションが唄い継がれているという。

 その蕎麦口上の一節に、会津の蕎麦の「したず」(したじ・下地=蕎麦つゆのこと)や、薬味の種類を唄い込んだものがあるので、ご紹介しよう。

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 (前略)
一番に垂れ鰹之助 (鰹節で出汁をとった蕎麦つゆのこと)
二番に大根絞り高遠之助 (大根の絞り汁で食べる高遠蕎麦のこと)
三番に紀州みかん之助たり (みかんの皮を乾燥させ、砕いた粉末を入れたつゆ)
四番にねぶか(ネギ)の四郎大綱 (刻みネギの薬味)
五番に胡麻塩但馬之守 (胡麻と塩だけで食べる蕎麦)
六番に相馬柚子之丞 (柚子の薬味)
七番に鷹の爪七味の助 (鷹の爪と七味唐辛子)
八番に梅漬け子太郎種有 (梅の酸味で味わう蕎麦)
九番に鬼胡桃五郎丸 (胡桃味の蕎麦つゆ)
十番に納豆苞糸姫 (納豆蕎麦)
十一番に振掛海苔次郎 (海苔を乗せて食べる蕎麦)
 (後略)
(「会津そば口上」元木慶次郎編/歴史春秋社刊より)

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 驚くほど多彩な食べ方だ。蕎麦にあうと思われる、あらゆる味付けが試みられている。会津の人々が「蕎麦を楽しむ」ことに、いかに強い思い入れを持っていたかが、これでわかる。
 米が豊富にとれたことで、蕎麦の評価が落ちるかと思いきや、逆に高まったという、不思議な現象がこの地にはみられる。「蕎麦は貧しいもの」という偏見が会津にはなかったため、その美味しさを正しく評価できたともいえるのかもしれない。

桐屋 夢見亭
福島県会津若松市慶山1-14-52
電話0242-27-5568
営業 11時~18時 (そばがなくなりしだい終了)
火曜日定休
最寄り駅はJR磐越西線、会津若松駅。車で約10分

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そばログ

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