HOMEMagazine江戸蕎麦の名店、浅草の並木薮蕎麦 > 種物の粋を楽しむ

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蕎麦はわずか数秒の茹で時間の違いで、うまくも、まずくもなる。「釜前」(かままえ)という、蕎麦を茹でる担当は、店で一番のベテランがつとめる。

今でも真似できる店がないほど先進的だった、初代・堀田勝三さんの意識

蕎麦屋の主役は、やはり蕎麦。蕎麦が美味しくなくては蕎麦屋は成立しない。
 『並木薮蕎麦』の製麺方法は、手捏ねの機械打ちだ。蕎麦粉に水を加え、捏ねて玉にしたあと、平らに"のす"ところまでは人手で行うが、細い麺線に切る作業は機械でする。味の良さと経済性、スピードを考慮した結果の組み合わせだ。
 現在、いわゆる江戸の流れを組む東京の蕎麦店の多くは、このように機械を導入している店が多い。

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機械も上手に使えば、手打ちにひけをとらないほどの、おいしい蕎麦ができる。『並木薮蕎麦』は、その見本ともいえる店だ。

 並木で味わっていただきたいメニューはいくつもある。まず最初は基本の「ざるそば」。一般的に「ざるそば」というと、蕎麦の上に刻み海苔がかかっている場合が多いが、この店の場合は何も乗せられてはいない。盆ざるの上に蕎麦だけを広げた、一般にいう「もりそば」が並木の「ざるそば」だ。
 多くの人が、この並木の「ざるそば」を初めて食べたとき衝撃を受けている。かくいう片山も、そのひとりだ。

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江戸蕎麦伝統のメニューのひとつ「おかめそば」。 かまぼこや湯葉などを蕎麦の上に並べ、おたふく(おかめ)の顔に見立てている愉快な種物。

 初めて並木の椅子に座り、この蕎麦を食べたとき、蕎麦とは本来、どういうものなのかという、その答えの片鱗を垣間見た思いがした。
 一枚の盆ざるの上に広がる、たすことも引くこともできない、完成された宇宙。それが並木の江戸蕎麦だった。今でも並木で「ざるそば」をいただくたびに、あの感動の一瞬を思い出す。

 「ざるそば」を一枚食べただけでは、まだ腹は満たされない。『並木藪蕎麦』の初代、堀田勝三氏は、「江戸っこは鮨と蕎麦で腹を脹らしちゃいけないよ」が口癖だった。蕎麦は食事の合間のおやつとして食べる「趣味食」であるという信念を持った人だった。だから並木の一枚の蕎麦の量は多いとは言えない。
 壁に張られた品書きを見上げ、次なるメニューを選んでみよう。ふたつめの注文は、温かい蕎麦がいい。
 江戸伝統の粋な種ものといえば、「花まき」が挙げられる。甘汁を張った丼に温かい蕎麦を盛り、あぶった浅草海苔を乗せて、その香りを楽しむメニューだ。
 味だけではなく、香りも楽しむ蕎麦。江戸の人々の簡素でありながら奥の深い精神世界を、この一杯の蕎麦から感じることができる。

『並木薮蕎麦』で使用している蕎麦粉は、先代の堀田平七郎さんが白鳥製粉と一緒に開発した、オーストラリアのタスマニア島で栽培された蕎麦が中心だ。これは東北地方のソバの品種、階上早生(はしかみわせ)を播種したものだという。

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 蕎麦は、どこの産地のソバを使うか、誰が栽培した玄蕎麦を使うかで、その風味は大きく変わる。『並木薮蕎麦』は戦後の一時期、台東区柳橋に支店を設けたことがある。そのとき初代、堀田勝三氏は、小型製粉機を導入し、ソバの産地別に玄蕎麦を揃え、客が希望する産地の玄蕎麦を製粉して供する方法を試みたことがある。蕎麦ブームといわれている現在でも、そこまでやっている店は、まだない。初代、堀田勝三氏の蕎麦に対する意識が、どれほど先進的なものであったのかが、このことからも推し量れる。
 『並木薮蕎麦』が守っている伝統は、江戸蕎麦の技術とともに、こうした先進的な考え方だ。老舗とは、日々、革新を積み重ねていくもの。そうでなければ、百年単位の時代を生き延びることなど、到底できはしない。

 『並木薮蕎麦』は、今では東京の町からほとんど失われてしまった、江戸蕎麦のエッセンスが詰まった博物館のような場所だともいえる。ガラスケースの中に歴史的な遺物が並べられているわけでは、もちろんない。
 並木にある大切なものは、目に見えないもののほうが多い。江戸蕎麦を構成する様々な要素が、並木の店の空間には、ひらひらと舞っている。
 何度かこの店に通っていると、それら目に見えない大切なものたちが、次第に見えるようになってくるところが、実に不思議で、楽しい体験なのだ。

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蕎麦の香りと、浅草海苔の香りを楽しむ「はなまき」。粋な江戸っ子が、好んで食べた種物。

そばログ

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