HOMEMagazine天井裏に隠された天保のそば > 蕎麦王国ブルターニュを訪ねて

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蕎麦をたくさん食べる、フランスのブルターニュ地方を訪ねたレポート。
蕎麦研究家の渡辺克己さんの特別寄稿です。

蕎麦王国ブルターニュを訪ねて

渡辺克己 (蕎麦研究家/札幌市在住)


 2009年7月、全麺協の海外視察に参加した。フランス西部ブルターニュを移動しそば料理、そば製粉、そば栽培などがフランス人の食生活にどう溶け込んでいるかを探った。札幌発着1週間の駆け足旅ではあったが、極東アジアの島国とは一味異なるそば食文化がそこに定着していた。またフランス人も日本人も食べることにかけては世界に冠たる舌を備えているといわれるが、そうした食い道楽とは対照的に、そばクレープなどは質素な田舎料理の系譜にあること、その地味系料理も支持され、"そば王国"の味覚を磨いてきたことを思った。プロのそばクレープ職人の全仏コンクールが存在することなどは驚きだった。        

輪作体系でそば栽培を選び、地力を高める

 そばは中国雲南省の北西部の山岳地帯で起源したとする説が最有力とされている。英語では「バックウィート」と呼ばれる。フランス語では「ファリーヌ・ドゥ・サラザン」、つまりサラセン人が運んできた穀物という意味。ペルシャ商人がシルクロードをラクダの荷車で運んできたという解釈である(海路もある)。筆者(渡辺)も幼い頃「サラセン粉」という呼称を聞いた気がする。ブルターニュはパリから西へ約500キロ移動して大西洋岸の3県にまたがる地域を総称していう。イギリス海峡の海霧を受けて湿潤で、それも酪農が発達する背景のようだ。「地力維持上、輪作体系の一つにそばを組み込んでいる」とブルターニュの農家は話してくれた。作物の肥料の順番上、何年かごとに畑地を替えてそばが必要なのだという。北海道では大面積のそば畑は単作で何年も攻め続け、地力が衰える悩みがある。 

 ツアーは福島、兵庫、東京、埼玉、栃木など20人。うち7人が北海道勢。北村忠一氏(幌加内)が団長を務め同氏以外は札幌愛好会員ばかり(女性3人)。札幌を発って成田経由でパリ着。TGV(なぜか鈍行の仏新幹線)で3時間位乗って在来線に乗り換えバスも使い、サンマロ湾カンカルに深夜にたどり着いた。

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サンマロ湾カンカルに面して右二軒が宿と食堂

ここで二泊したのは面白い店だった。この旅の"主舞台"でもあった。というのは海岸の小さな食堂兼ホテルでもあるが、食堂の得意技はこの地方特産のそばクレープ(ガレットともいう)を食べさせるところにある。しかも40歳前後の店主夫妻は、03年幌加内世界そばフェスタに出店した11カ国中の、フランスそばクレープ店を出した。この幌加内祭りの人気を独り占めした店主がラーシェ・ベルトラン氏その人である。また夫人は札幌生まれ会津育ちの日本女性。スイスで働いていて出会って結婚したそう。4人の子育てにも奮闘中。ベルトラン氏は地元に加えパリ、東京神楽坂など首都圏、神奈川、名古屋も含め計9店出店し、日本とフランスの外食界でいまや注目のやり手なのだ。

東京、パリなどクレープ店9店
シェフの実力派

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宿と食堂経営の夫婦。奥方が地元を仕切り、主人がパリ、東京などへ飛ぶ

 クレープはそば粉100%の鉄板焼きの皮が特徴。前夜水と塩でペースト状にして、ヘラで薄い煎餅状にのばして焼き、何枚も焼き貯める。バターやチーズ、木の実、野菜、蜂蜜などなんでも具にして仕上げる。もちろんハム、ソーセージもよく合う。やや厚めの生地に作り、地方によってガレットと称したりする。そばの栽培面積はフランスでは日本の4割しかないが、単位収量は日本の3倍もある。地力があるのだろう。

その主産地はブルターニュだが、クレープは全土的に食べられていて、そばクレープはフランス人の舌に染みこんだ味といえる。NHKテレビのそば番組でもおなじみの成田重行氏(東京)は今回の旅人の一人。パリのモンマルトル界隈にあるクレープ店を何軒も食べ歩いて研究を重ねておられた。フランス料理といえば豪華絢爛な美食と思い勝ちだ。それに対しクレープは家庭料理をレストランメニューに持ち込んだもの。低廉で、立ち食い的口直しの一品である。玉村豊男著「パリ物語」(中央公論社)によると「パリにクレープリーは120軒以上あり、そば粉のヘルシーさが受けている」という。日本ではクレープといえば、小麦粉で練り焼きしクリームなどを包んだお菓子の範疇だ。ギャルに受けてワゴン車仕立ても最近目立つように思う。小麦粉が割安に調達できることも関係あるだろう。

クレープ職人も腕前を競い
焼き心地にこだわる

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そばクレープを焼くシェフ。こて裁きで大和なでしこぶりの繊細さが受ける

 この店で働くクレープのシェフは家元が東北のお米屋さんの日本女性で、5年前に全仏クレープ職人コンクールで優勝した腕前の主。焦がしすぎず、カリッとして風味がよいなどがチェックされる。二人の審査員が店にやってきて審査したそう。そういえばそば職人が審査を受ける風土は日本にない。

逆に素人そば打ち審査の高段位はプロのそば店主がおおむね牛耳っている。そのことの是非の論議は素人側で尽きない。プロのそば職人にも審査制度をーという発想は、唐突だがそば店の沈滞を破るきっかけとなるかも知れない。ブルターニュのクレープは、食材が新鮮で、香りと味が強烈だ。トマト、果実、木の実などは、鮮度が抜群だ。フランスに住むある日本人によると、市場で果物を触るのを店は嫌い、実際触る人もいないそうだ。鮮度尊重の考えが徹底しているのだろう。北海道で九州など遠隔地のトマトが店頭に並ぶのが当たり前となり消費者は喜ぶわけだが、薄味のハウス物にも結構出くわす。流通先進国という面はあるが、中身もあるトマトが望ましい。

 翌日は日本人に人気抜群のモン・サン・ミシェル城(カトリック寺院)を見物した。宿からバスですぐの距離。ここら海岸は西部戦線の激戦地で、石碑にはナチスと戦って犠牲となった兵士名が刻まれてあった。砂浜の干満潮位差は8メートル以上もあるという。フランス名画を見るような海面が目の前に広がっていた。

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プロに交じってアマチュアの"そばずき"が勢ぞろい。宿から十数分のモンサン・ミシェル寺院をバックに

 ブルターニュはドーバー海峡を越えて対岸の島国からブルトン人が渡来した地方。またブルターニュ地方ではケルト語がいまも方言で話され、民族舞踊も残っている。このローカルカラーはブルターニュが全仏的に一番濃いといわれる。ブルターニュ人は働き者でいわゆる3Kをいとわず、遊ぶのが大好きのフランス人的とは一味異なる気質ともいわれる。

 そば畑は十字軍が通った道筋とも関係が深いと地元で聞いた。スペイン、イタリア、東欧など主にカトリック圏でそばは栽培されている。それに比べてイスラム圏諸国は麦、コメの方に執着してきた。そばというマイナーな穀物はラテン、イスラム国家ではそれほど興味を引かなかった。「金持ちはパンを食い、貧乏人はそばを食う」という諺が意味深なジョークだ。

 三日目は、朝食後まずフジェールという町にマイクロバスで行き、そば畑を視察した。そこは50歳がらみの畑作の主人が、小麦、養鶏、野菜などを経営、小規模に収支を合わせている印象だった。そば畑は5ha程度の少面積であり、地表に石くずも混じっている。ばら撒き播種の畑は一見してラフな耕作である。北村団長は「これでは雑草の実を取り除くのが大変だなあ」と感想を漏らした。日本では雑草混入の実、粉は返品の対象で売り物にならない。フランスのそばクレープはそういう雑草の実も入った味として定着しているのだろうか。畑の脇の養鶏小屋には千羽くらいの鶏が飼われていた。「卵は毎日手で集めている」というが、作業がそれほど苦にはならない風だ。ヤワな草食民族と違い肉食人の体躯は頑丈そうだ。欧州の農業は米国や日本と違って効率第一より、手仕事の伝統を大切にしている感じだ。

粉は粗いが、焼くのだから繋ぎは不要

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そば畑で話を聞く北村忠一団長(左)

 バスは次に少し離れたビットレという町に走った。道内でいえば美幌のような農業の町。1870年(明治3年)創業の製粉工場を見学した。140年も経つ老舗で、昭和初期に一度増設しただけという。直径1mくらいの大きな石臼はパリ近郊の採掘石で造り、数年に一回目立てをするそうだが、粗挽きの粉は色が濃い。クレープを焼くにはこれで十分なのだろう。熟年の頑丈な女性工場主によると、そば製粉は近在では同店だけであり、小麦工場が絶対多数だそう。粉袋はブルターニュ産と中国産輸入の二種類が置かれていて、中国物は4割を占める。この辺の関係は日本と変わらないようだ。

 もう一つポイントは、日仏の製粉歩止まりの差である。この粉屋さんの場合は73%だそう。日本はおおむね60%強か。ここに大雑把だが約1割の開きがある。すなわち日本で乾麺などへ向けている部分をフランスでは挽きこんで食べる方へ残している。この差は大きい。クレープはフランスの家庭料理であり、おふくろの味も個性的ということになる。基本的には焼き菓子だから、黒い要素を焼きこんで香ばしい食感を出す魅力がある。

道産キタワセ玄そばが
パリっ子の胃袋を虜に

 旅は全麺協の主催。北村忠一氏が団長、会津の唐橋宏氏(桐屋店主)が副団長。ツアーは日本旅行旭川支店が扱った。ブルターニュの後、最終ゴールはパリ。視察団はそば見聞が主目的とはいえ、花のパリの空気にも触れたい、フランス料理も体験をと忙しい。札幌勢は赤松幸一・札幌手打ちそば愛好会事務局長のパリに住む親戚の案内でムール貝のレストランへ行き、また私は兎肉料理に舌鼓を打った。ベルサイユ宮殿などを目指しバス、地下鉄、電車などを乗り継いで行動した。 

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大きな石臼。製粉工場の歴史と剛毅な気風が辺りを制する

 手打ちそば店「Yen(円)」も訪れた。中心部に近いサンブノワ通りにあった。食堂は1階と2階にあり、表通りの歩道にもテラスが張り出している。店長・桜井克樹氏は30台の働き盛り。実はこの店は紳士服生地の「オンワード樫山」の直営であり2000年3月の開店。ベンチャー事業で展開している日高・浦河のオンワード牧場もその一つ。そばは札幌・山加製粉から黒皮を外した状態のヌキで取り寄せ、店の地下で動力製粉している。しかも北海道産のキタワセ種である。10年前、筆者は桜井氏が「これから行きます」というのを山加で肩を叩いて励ました間柄だ。桜井氏は日本のカリスマそば師・高橋邦弘氏から1年近く、高橋師匠の店でそば打ち特訓を受けた。フランス人の常連客も次第に増えているそう。そば切りのヘルシーな点が桜井店長らの努力によって注目されてきている。桜井氏はブルターニュ産そばを使えるか一時検討したが、「キタワセの風味に比べればガクンと落ちる」と採用を断念したそう。かしわそばなど肉がらみメニューが人気なのは当然といえる。

 訪問団はさて何を食べようかとなったが、なぜか全員かしわそばに落ち着いた。肉素材はフランスの得意芸であり、歯当たりが香ばしく、上品な出来栄えである。麺は固さと冷たさがやや足りないと感じだが、パリの人らは必ずしもそこにこだわっていない。そば切りとつゆの控え目な相乗効果に、パリジャンは「日本」を感じ、彼らの胃袋を虜にしているのだろう。

日本そばの明日、知恵を仏人に教えられた

 筆者は08年秋、韓国北東部、平昌のそば祭りも視察した。韓国は冷麺の盛んな国だ。その冷麺はデンプン粉、塩でコリッと歯応えがよい。会場の一角で搗き臼の製粉機がコットンコットンと上下動して、杵が臼の底を突く珍しい光景だ。
 だが粉の純度は、イマイチであり粉に葉や茎、土などが混じっていて、家に持ち帰ってそばを打ったが、消化にやや悪かった。だがこれもこれで地元に息づく味だ。でんぷんは近年、芋などから採る場合が多くなっていると聞く。フランス、韓国と二カ国と比べてみただけだが、日本の製粉の精度はズバリ際立って高い。芸術的といっても過言でないと思う。

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忙しそうなパリの「円」の桜井克樹店長

 パリの新聞「フィガロ」は、ベルトラン氏のパリ店の味を「パリ一番の出来栄え(07、08年)」と二年連続一位にランク付けした。それは伝統を守りながら、新味を出している、その地道な努力を評価している証拠だろう。筆者は帰国後、東京神楽坂の同氏の店に行って、そばクレープを賞味した。その味はブルターニュ・カンカルで食べた味とまったく同じレベルだった。これは自国の食文化への自信であり、ある意味で納得した。民族の味はどこへ出しても共通だというもの造り精神。頑固さと柔軟性を兼ね備えたフランス流の戦法―。フィガロの記事の日本語コピー文が店に置いてあった。このチャンスを生かす抜け目ないガッツぶりが学ぶべき点だと思う。日本でのそばの魅力を高めるにはどうすべきかー、そのヒントがいくつも頭に浮かんだ旅だった。