HOMEMagazine2012年蕎麦Web博覧会 > 蕎麦職人と師匠たち「東十条 一東庵」-こなもんや 三度笠-


蕎麦屋は信用と信頼 ~ 小松庵社長の教え

「凄い二八そばと出会いましたよ!十割と間違えるほどの強い香りです。」

そう私に語ってくれた夢八さんこと蕎麦屋開業コンサルタントの鎌 富志治さん。そんな彼から「凄い二八そば」が出る蕎麦屋さんを教えて貰いました。JR京浜東北線「東十条駅」近くに店を構える「一東庵(いっとうあん)」。昨年の12月開店に開店してから、まだ1年も経たない新しい蕎麦屋さんです。

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大豆3点盛り 右手前から豆腐の味噌漬け、豆腐、湯葉

私が初めてここを訪問したのは今年2月。 店内は木の温もりを感じさせる造りでどこか居心地がよく落ち着く。蕎麦を実際に食して、私は新鮮な驚きを覚えました。夢八さんの言う通り「一東庵の二八蕎麦は、確かに十割と間違えるほど香りが高い。これだけ香りが良くて、しかも喉ごしの良い蕎麦なら、十割でなくていい。二八がいい。」と、確かに私もそう感じたのです。他の料理やお酒も美味しかったこともあり、私はたちまち、この蕎麦屋の魅力に嵌まることとなりました。このお店の良さを感じる人が夢八さんや私以外にも沢山いたようで、気付けば休日になると行列の出来る〝人気店〟になっていました。人気店になっても、このお店の醸し出す心地良さは全く変わっていません。 「美味しい蕎麦や料理を超える魅力がここにあるに違いない。」そう感じた私はそれが何であるのか少しでも知る事が出来ればと思い、一東庵のご店主とお話をさせていただきました。


吉川邦雄さん、40歳。日焼けした肌に精悍な雰囲気の一東庵の若き店主は、絶えずチャレンジャー。常に頭の中は蕎麦ことばかり。吉川さんのような店主、他にも知っています。巣鴨・菊谷の菊谷 修さん。お二人はお互い仲が良いばかりでなく境遇も似ています。そのお話は後ほど・・・。
私はまず、思い切って吉川さんに訊ねてみました。

華麗麺麭(カレーパン) 吉川さんのお師匠さんってどなたですか?

私は答えをある程度予想した上で敢えて質問したのですが、(因みに私は○○氏だと考えていた。)彼の口から出てきたのは意外な人物の名前でした。

吉川 小松庵の小松 茂社長です。

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味噌漬け3点盛り 右:牛肉 左下:カマンベール
左上:豆腐

小松 茂氏は、駒込の小松庵総本家の2代目社長。大正11年にソメイヨシノの里「染井村(現在の駒込)」に小松鶴一氏と妻・さくさんが開業した〝小松庵〟。茂氏は創業者・鶴一氏のご子息。小松 茂社長は吉川さんがトップに挙げた師匠です。

吉川さんは23歳で小松庵に入社。蕎麦屋を志そうと上野藪そばなどいわゆる〝老舗蕎麦屋〟の求人を探しました。バブル崩壊後の就職難で就職先はなかなか見つかりません。そこで出会ったのが小松庵。丁度、〝恵比寿ガーデンプレイス店〟オープンの為に中途採用の募集があり、無事入社を果たしました。
念願叶い、駒込本店の研修も終了。恵比寿ガーデンプレイス店転勤の内示が出ると、吉川さん、これを拒否。

吉川 本店で働かせてください。

吉川さんが入社する数ヶ月前。吉川さんにとって、蕎麦の師匠であり、人生の師匠でもある田村一人さんも小松庵に総料理長として入社。その田村さんにもう少し本店で教えて貰いたい。これが転勤拒否の理由でした。
その吉川さんの我が儘を認めるほど小松庵の懐は深い。結局、本店での修業を1年間許されました。1年経って、田村さんは、本店に留まり。吉川さんは、新宿高島屋支店の配属になりました。吉川さんは、一日の売上等の営業報告で本店の小松 茂社長の所に毎日通いました。

小松社長 蕎麦屋は、結局、信用と信頼だよ。

若い吉川さんに蕎麦やつゆの作り方以外にも、人生について教えてくれたのが当時の茂社長でした。

田村 一人総料理長との運命的な出会い

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牛肉のプラム煮 よく比較される神田・眠庵の牛肉のバーボン煮 フレンチの経験からプラムを使った方がいいと言い切ります

田村一人さんは、現在、埼玉県東浦和「蕎楽房 一邑(きょうらくぼう いちむら)」の店主です。千葉県市川大野の名店・松月庵で活躍していたところ、小松庵に三顧の礼をもって迎え入れられた実力者です。吉川さんは、田村さんから蕎麦は元より人生の多くのことを学んだと言います。田村さんがいなかったら、多分、今の自分はいないと・・・ 。

しかも田村さんが小松庵に入社して、小松庵自体も大きく変わりました。それは、現在の小松庵専務で茂さんのご子息・孝至(たかし)さんとの出会いがきっかけです。

当時、小松庵は、大手製粉業者から蕎麦粉を仕入れて手打ち蕎麦を作っていました。それを蕎麦産地から玄蕎麦を購入し、製粉を業者に任せず、自家製粉に全面切り替えをしたいと田村さんは、孝至さんと一緒になって茂社長を説得。茂社長は難色を示します。それは、長年製粉業者にお世話になって来たことを社長自身が一番知ってるからです。しかし、熱心に説得を続ける田村総料理長と孝至さん。遂に、茂社長は、二人に折れました。この日以来、小松庵本店、支店で使用する蕎麦粉は全て自家製粉の美味しい蕎麦粉です。

田村さんは、北海道出身。美味しい蕎麦粉をよく知っていました。小松庵には、〝蕎学舎(きょうがくしゃ)〟という〝おそばの学校〟があります。ここで、若い蕎麦職人たちは徹底的に勉強をさせられます。美味しい鰹節を買い付けに四国土佐清水に行く研修もあります。蕎麦の栽培実習もあります。全てをカラダで覚えます。小松庵の先輩・後輩は、単に蕎麦を勉強するだけでなく、一緒に人生も勉強します。夢や愛も語り合います。

駒込・小松庵本店にお邪魔した時、花番をしていたS君。田村さんや吉川さんを心から尊敬している様子。彼らは先輩たちが叶えた夢を自分たちも追っかけます。尊敬する先輩たちが独立開業した店にも出掛けて勉強します。

モノ作りの大切さを慈久庵の小川宣夫

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益子の常陸秋そば(二八) 十割と間違えるほど香り高い

吉川さんの3人目の師匠は、〝小川宣夫〟さん。茨城県常陸太田市・旧水府村で慈久庵の店主です。小川さんは、荻窪の老舗名店〝本むら庵〟で修業した後、阿佐ヶ谷に名店〝慈久庵〟を作り上げました。2002年に阿佐ヶ谷の店を突如閉店し、小川さんの故郷・水府に移転。同名の〝慈久庵〟をオープン。移転のきっかけは、村長をしていた同級生のススメもありましたが、ふる里の里山を守りたいという気持ちからです。蕎麦以外にも、野菜作りや焼き畑農業まで手がけています。近隣の蕎麦生産農家の協力も得て作る〝水府の常陸秋そば(水府そば)〟は、その美味しさで全国的に有名になっています。

この慈久庵の小川さんから吉川さんは、〝モノづくり〟の大切さを学んだと言います。
蕎麦粉の製造課程には、脱穀→磨き→篩い(ふるい)→丸抜き→殻取り→製粉があります。一東庵では、生産農家から送られて来た玄蕎麦を磨きから自家製粉まで一貫して行っています。こういうことがやれる蕎麦屋さんは、都内でも僅か。貴重なお店です。その製粉まで至る過程について、小川さんから貴重なお教えを頂いたそうです。特に、石臼の作り方については、大きな影響を受けたと言います。奥さまに内緒にしていた手動石臼購入の件、取材の過程でバレてしまいました。(笑)

吉川さんが蕎麦職人を目指したのは、23歳の時。冒頭に巣鴨・菊谷の菊谷修さんと境遇が似ていると書いたのは、二人ともお父さんが洋服の仕立て屋さんだった点。手先の器用さは、二人とも父親譲り。吉川さんが料理に興味を持ったのは、偉大な母親の存在です。お母さんの作る料理は、世界一美味しい。特にハンバーグが最高。吉川さんは、3人兄弟の真ん中ですが、いつも台所に立つお母さんの横に、吉川少年が立っていました。
お母さんのように美味しいハンバーグを作りたい。それが少年の夢。高校を卒業して服部調理師専門学校に入学して夢を実現したかったからです。

どんな音でも拾え!!とフレンチの矢部シェフ

料理学校を卒業して就職したのが〝池袋サンシャインプリンスホテル〟。フレンチのシェフになろうと厨房に立ちました。吉川さんの4人目の師匠は、〝矢部〟さん。池袋サンシャインプリンスホテルで吉川さんにフレンチを教えたシェフです。吉川さんが矢部さんから教わった大切なことは、フレンチの作り方だけではありませんでした。それを超えて大切なことを勉強したと言います。

矢部シェフ どんな時でもたくさんの音の中から大切な音を聴き取る耳を持ちなさい

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茨城三和の常陸秋そば(十割)

つまり、「調理をしていても周りで何が起こっているか、常に大事な音を聴き取るチカラを身につけなければいけない。同僚の動き、お客様の動き。耳を周囲に傾けることで、それが理解可能な大事な音として入って来ます。これはいつもそのことを意識して、そのように訓練しなければ自分のモノにならない。」と吉川さんは語ってくれました。

この話を聞いて、私はなるほどと思いました。一東庵は、いつも居心地の良いお店。そんなお店ができた理由は、吉川さんの耳でもって店の隅々まで気を気張り、お客さまのホントの声を聴き取っていたのではないだろうか。

吉川さんは、美味しいハンバーグを作りたくてフレンチのシェフを目指しました。しかし、そこで実際に学んだのは、素材を大切にして生かす、つまり本来の和食が得意とする概念を現代のフレンチも目指していることでした。それならば、和食を徹底的に勉強してみたいと思ったそうです。

吉川さんは、フレンチを極めることはしませんでしたが、今の素敵な奥さまを同じ職場でゲットしました。素敵な奥さまも、優れた耳のチカラで居心地のよいお店を作る花番をされています。しかも、吉川さんは、笑いながら話されました。

吉川 結婚した当初、母の料理が世界で一番美味しいと思っていました。しかし、今は、妻の料理がそれを超えました

華麗麺麭 はい、ご馳走さまです。(笑)

翁 達磨がこころの師匠

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店内にある唐箕(とうみ)。収穫した穀物を脱穀した後、籾殻や藁屑を風によって選別する農具。実際に使っています

素晴らしい4人の師匠との出会い。最後に、吉川さんは、5人目の師匠の名前を挙げました。〝高橋邦弘〟さん。一茶庵創始者・友蕎子〝片倉康雄〟の一番弟子と目される人物。現在、広島の雪花山房 達磨の店主です。〝蕎麦の神様〟と呼ばれている有名な方。

吉川さんは、高橋名人に直接の指導を受けたことはありません。しかし、蕎麦職人を目指して以来、日光そば祭りをはじめ全国のそば祭りに高橋名人の追っかけをしました。吉川さんにとって、めざす蕎麦の世界の頂点にいる〝師匠〟は高橋名人です。知り合いが、高橋名人の弟子になったと聞くと、矢も盾もたまらずになるそうです。吉川さんの一方的な片思い。その相手が高橋名人です。

吉川 振り返ってみると、多くのお師匠さんに私は、貴重な教えを頂きました。師匠たちは、いつも何かを私に伝えよう、何かを渡そうと一生懸命でした。今の私は、師匠たちと同じように誰かに何かを渡さないと、伝えないといけないと思っています。それは、小松庵時代の後輩たちであり、お店に来て頂けるお客さま方です

私は吉川さんが、偉大な5人の師匠から学んだ事の一つに、師匠から頂いた〝愛〟があると感じました。小松庵の小松 茂社長の「信用と信頼」。田村さんの弟子に対する深い愛情。慈久庵の小川さんのモノ作りに対する愛とふる里への愛。フレンチの矢部シェフの一皿に盛るお客さまへの愛。そして高橋名人の限りない蕎麦への愛。吉川さんは臆する事なく次のような事を口にしました。

吉川 華麗麺麭さん、小松庵では、真剣に愛とは何かを議論しましたよ。ここで学んだのは蕎麦だけではありませんでした。

師匠達の姿を実際に間近でたくさん見て全身で感じてきたであろう吉川さんは、自らも同じように蕎麦や料理を通して後輩やお客さま、様々な人にコミットし続けていくのだと言います。

どこか居心地よく、まだ新しい木の薫りが鼻孔をくすぐる一東庵。そこには師匠達から受けとった姿勢と技に誇りを持ち、更に自ら料理人として職人として蕎麦の在り方を模索し挑み続け、後輩達に繋げていこうとする一人の店主の姿がありました。
吉川邦雄40歳。まだまだ進化の過程にある若き〝蕎麦職人〟です。

石臼挽き手打ち蕎麦 一東菴
■住所: 東京都北区東十条2-16-10
■電話: 03-6903-3833
■営業時間: 平日11:30~15:00/17:00~21:00 日曜日11:00~15:30
■定休日: 月曜日
■アクセス: JR京浜東北線 東十条駅 南口改札より徒歩2分

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