昔の奥出雲の蕎麦は、なぜそんなに美味しかったのか。『ふなつ』の主人がたどり着いた答えは、これだ。
写真と文= 片山虎之介
『ふなつ』の蕎麦の個性を一言でいうなら、「目をつむって食べても、これは『ふなつ』だとわかる蕎麦」ということだ。蕎麦の体裁に必要以上にこだわることなく、とにかく味に全神経を集中させている。そしてその味が、独特なのだ。
しかし、目を開いたら、わからなくなるわけではない。目で見ても、やはり一目で、これは『ふなつ』だとわかる。見た目の特徴は、蕎麦が短くブツブツ切れていることだ。こういう蕎麦に、よそではなかなか、お目にかかれない。
ごく最近まで蕎麦の世界では、太くて、短くブツブツ切れた蕎麦は、完全に否定されていた。素人の打つ蕎麦だと見下され、細く長くつながっているほど、良い蕎麦だと評価される風潮があった。
『ふなつ』の主人、槻谷英人さんは、そういうことにはとらわれない。
「私は打ちにくい蕎麦粉こそ、蕎麦本来の魅力が出せると思っています。ブツブツ切れるような蕎麦が、やっぱり一番味が濃いし、それは昔から言われていることです。昔は、一般家庭では祖末な石臼を使っていたから、今のように細かく完全には挽けませんでした。篩(ふるい)も粗いものだったし、そういう道具で製粉すると、どうしても粗挽きの粉になります。粗挽きの粉で打つと、短く切れる蕎麦になってしまう。でも、そういう蕎麦を実際に食べると美味しい。昔の蕎麦の味を知っている人は、その記憶があって、昔の奥出雲の蕎麦は美味しかったと言うんじゃないかと思います。私はブツブツ切れるような蕎麦粉が大好きなんです」
食べてみると、確かに美味しい。
濃厚な蕎麦の味が、舌の味蕾(みらい)に染み付いてしまいそうだ。
強い香りは、このソバが育った畑を取り囲む、大自然の厳しさを暗示している。
太い麺を口に入れ、舌の上で滑らせ、噛み締め、とろけた蕎麦を飲み込むまでの食感の変化の妙には、驚かされるばかりだ。
こういう食味は、太くて短い蕎麦だからこそ出せるものだとも言える。
槻谷さんは、奥出雲で在来種を復活させる過程でも、尽力した人だ。奥出雲町に出向いて、蕎麦打ちの技術を伝えたり、蕎麦を食べに来る客が、どういう蕎麦を求めているのかを、栽培農家に指導してきた。
現在、『ふなつ』で使うソバは、すべて奥出雲産。決まった農家と契約して、栽培してもらっている。
「店のお客さんが、食べたときにおっしゃった感想を農家に伝えると、栽培する人は、播種期とか、肥料の具合とかをキチンと決めることができて、自分の栽培の仕方に自信を持つことができます。そういうやり取りが、良いソバを作るうえでは大切だし、みんなでそれをやると、とても楽しいんです」
中国山地蕎麦工房 ふなつ
島根県松江市外中原町117-6
TEL:0852-22-2361
営業時間:11:00-20:00
定休:月曜
奥出雲のソバを使えば、誰でも『ふなつ』のように美味しい蕎麦ができるかというと、それはまったく違う。この味は、槻谷さんにしか出せないものだ。
取材を終え、別れぎわに、槻谷さんは言った。
「片山さんは、日本中歩いて、いろんな人の蕎麦を食べるから、楽しいでしょう。蕎麦屋はみんな、一人ひとり言うことが違いますよね。でも、それはみんな正しいんですよ。誰もがそれぞれ、ひととは違う自分の味を追求しているんですから」
際立つ個性の蕎麦を打つ槻谷さんは、人柄も個性的だ。それだけに、ひとの個性も尊重する。
ブツブツ切れる蕎麦の味を知りたいなら、松江を訪ねて、『ふなつ』の暖簾をくぐるしかない。打つ人と蕎麦は一体のもの。そこが蕎麦の素晴らしさでもある。この一枚は、わざわざ松江まで足を運んで良かったと、きっと思わせてくれるだけの蕎麦だと、僕は感じている。
付け加えて言いたいのだが、『ふなつ』を訪ねたら、「割子そば」のほかに、必ず「釜揚げそば」も味わっていただきたい。これについては、また別の機会に書くつもりだが、蕎麦好きなら『ふなつ』の「釜揚げそば」を食べずに帰ったら、一生の不覚ですよ、ということだけは、お伝えしておきたい。