HOMEMagazine岐阜の名店『仲佐』のソバ畑を訪ねる > 『仲佐』という、すごい蕎麦屋がある 2 /片山虎之介=文

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これが稲核在来。小さな実の中に、濃厚な味と香りが、ギュッと詰まっている。

「このソバでなくては、蕎麦が打てない」 名人に、そこまで言わせた稲核在来。
北アルプスの谷に、隠者のように生き残る

 中林さんの店『仲佐』は、温泉で有名な岐阜県の下呂にあります。
 なぜ、はるばる北アルプスの峠を越え、信州の地までやってきてソバを作るのでしょう。
 それは、そのほうが、おいしいソバができるから。はっきりした理由が、いくつもあるのです。

 理由のひとつは、この稲核在来というソバ、この土地でしか栽培されていない在来品種なのです。
 昔はほかの土地にも、小粒のソバはありました。しかし大粒の実がとれるように品種改良されたソバに、みんな取って代わられ、今では稲核在来も絶滅寸前の状態になってしまったのです。
 中林さんは、どうしても、この小粒のソバを使いたいのです。稲核在来が手に入らなくなったら、今のような形で、蕎麦屋はやっていられないとまで言います。中林名人にそこまで言わせるほど、このソバは美味しいのです。

DSC0826aa.jpg稲核在来の畑を歩く中林新一さん。光り輝く宝物に包まれている気分だろう


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畑の近く、山の斜面を掘って作られた貯蔵庫。中に入ると、真夏でも上着が必要なほど涼しい。

 理由のふたつめ。いいソバができる畑は、昼と夜の気温差が大きいことが重要です。昼間、太陽の光を浴びて、葉で作られた栄養が、夜、実の中に送り込まれます。これが、昼夜の気温差が大きいと、うまくいくのです。
 中林さんの畑は、標高800mほどの場所にあり、高原地帯の環境なので昼夜の気温差は大きいのですが、それに加えて、この畑の裏山が、実は超大型の冷蔵庫のような働きをするのです。
 北アルプスの冷たい雪融け水が、山の中に染み込んで、この畑の裏山全体を、冷たく冷やしているのです。中林さんの畑のすぐ近くに、山に穴を掘って、天然の保冷庫として使われていた場所があります。ここには、その昔、養蚕が盛んだった時代、蚕の卵が大量に保存されていて、日本各地にここから出荷されたのだといいます。
 こういう天然クーラーが畑の裏山にあるので、昨年のような酷暑の夏でも、夜になって日が沈むと、仲佐さんの畑は、しんしんと冷え込むのです。
 かくして秋には充実した小粒の、美味しい美味しいソバの実が、この畑で実るのです。

 そしてみっつめの理由。それは人間です。稲核在来を育てているこの畑は、稲核に暮らす上條泰利さんという方の土地です。上條家は、代々、この畑でソバを栽培してきました。上條泰利さんのお父さんの時代に、中林新一さんとの出会いがあり、この畑で中林さんのためにソバを作るようになりました。
 そして現在は、上條泰利さんが、中林さんのために、この畑を守っているのです。

DSC0732.jpg畑で刈り入れの打ち合わせをする中林新一さん(左)と、畑の持ち主の上條泰利さん(右)。


 畑は、土地だけあっても、畑にはなりません。そこに種を播き、いつくしみ、手入れしてくれる人がいて初めて、畑と呼べるものになるのです。つまり、畑とは、人間の営為のことなのです。
 信頼できる上條泰利さんという人がいるからこそ、中林さんはここまで足を運び、ソバを栽培するのです。

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大自然の中で味わうお茶とおやつは、格別のおいしさ。中林さんは、応援に来てくれる仲間のため、手作りの軽食を持参して振る舞う。

 畑で楽しみなのは、お茶の時間です。
 風が吹き抜ける青草の上で、みんなで輪になってお茶を飲み、おやつをいただく。まるでピクニックにも似たこの時間は、参加した人たちが大きな喜びを感じる一瞬でもあります。仲間と一緒に、何かを成し遂げようとしている、そういう高揚感が、みんなの顔を輝かせます。日常の生活では、なかなか出会うことのできない、貴重なひとときです。

 中林新一さんは、飛騨高山の老舗料亭で、12年間料理を作っていた優秀な料理人です。その、中林さんちのおやつ、おこびれ(信州では、お茶の時間の軽食を、こう呼ぶ)の味は、折り紙付き。「これが楽しみで、お手伝いにくるんです」と、つい本音をもらしてしまう人もいます。みんなもその言葉に、しっかり頷いているのですが。

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刈り取ったソバは、島立てにすると、風で倒れる危険性が高いため、横棒を渡してそこに立てかけて天日乾燥する。その上からビニールをかけ、雨が降っても濡れないよう配慮する。大自然の恵みであるソバの美味しさを、加工の過程で失わないよう、あらゆる努力を惜しまない。

ほんとうにうまい蕎麦を作るには、
未成熟の実が混ざっていたほうがいい。
それがわかれば一人前の蕎麦職人。

 昼を過ぎると、太陽が山に隠れて、この畑には日が当たらなくなります。これが、中林さんが、この畑でソバを育てる四つめの理由。朝日が当たって、夕日が当たらない地形。こういうところがソバを育てる場所として、実は理想的なのです。
 四方を遮るもののない広大な畑で、大規模にソバを栽培すると、朝から日没まで、ずっと太陽の光に当たり続けることになります。こういう環境では、ソバの実は「焼け」といわれる現象を起こすことがあります。太陽の熱で、実の内部の甘皮は、緑色を通り越して褐色になってしまい、ソバの香りも希薄になってしまうのです。
 それが、午後には日が当たらない中林さんの畑のようなところだと、いくらか未成熟気味な実も混ざってきます。でも、これが実は、美味しいソバを作る上で重要なことなのです。
 収穫したときに、成熟した実と未成熟の実が混ざっていると、香りの強い蕎麦粉ができます。成熟し切っていない、まだ甘皮の緑が濃い状態の実は、香りのもとになるのです。だから上ランクに等級付けされた、黒い実だけで粒が揃ったソバよりも、未成熟の実が混ざり、実の大きさにもバラつきがある、自然の状態のソバのほうが、風味に優れた蕎麦が作れるのです。
 中林さんは、そういうことを良く知っています。刈り入れをする際、未成熟の小さな実を、なるべくこぼさないよう大切に集めて、乾燥させ、蕎麦に打つのです。
『仲佐』の蕎麦の味が、他の店と決定的に違う理由は、こういうところにあるのです。

DSC1209aa.jpg刈り入れが終わり、安堵の微笑みがこぼれる。応援に駆けつけてくれた仲間たちと中林新一さん。


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この畑で育った稲核在来は、その後、ていねいに製粉、手打ちされ、下呂の『仲佐』で、極上の蕎麦となって供される。
『仲佐』
TEL.0576-25-2261
岐阜県下呂市森918-47
定休日 水曜日(祝日の場合は営業)
HP http://nakasasoba.com/

 夕方、予想していたよりも早く、刈り入れ作業は終わりました。
 みんなは車に乗り、近くにある温泉に直行。残照が空の雲を赤く染める露天風呂で汗を流します。
 それから地元の蕎麦屋さんに集まりました。
 お疲れさまの声と、笑い声が響き、この土地の食文化「とうじ蕎麦」に、みんなの箸が集まります。

 北アルプス山麓、ソバ畑のある深い谷は、闇に包まれていきます。
 ソバたちは闇の中で、葉で作った栄養を、せっせと実に送り込む、後熟の作業にいそしんでいることでしょう。

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