北海道深川市近郊の蕎麦粉(キタワセ)を丸抜きで仕入れ、自家製石臼挽きを、十割、二八蕎麦を打ち分けています。
麺は、伝統を引き継ぎ、程良い太さ(ほんの少し太めで角の立った田舎風グレーな色)で、歯ごたえが有りコシの強いもっちりした美しい正統派の麺です。
そばつゆも、辛口で歯ごたえのある麺に絡み、キタワセの特徴を引き出し、つゆも麺もどちらも主張しなく、多数の皆様にも、好まれる蕎麦に仕上がっています。
薬味も、蕎麦湯にも楽しめる量が有り、師匠の時からの「野沢菜」のお漬け物が付くのも嬉しいこころ配りです。
メニューは豊富で、お蕎麦の苦手な方は、これもまたコシのある「手打ちうどん」も用意されています。
おすすめは、一日六人前限定の「内藤流十割手打そば」780円です、早い時間に来店されると良いと思います。
店主の小林 清秋さんと物腰の優しい奥様とお二人で営業をしています。
小林さんは、東京都中目黒にあった「あずみ」(針金の如く固いそばを出す伝説の蕎麦屋 昭和51年9月~昭和63年10月閉店)の吉村 慶二郎氏(後述)の指導の元で修行され、墨田区向島の親元で腕を磨き、平成になって、上石神井で開業され、現在に至っています。
故吉村 慶二郎氏(大正12年生まれ)については、昭和38年のある日、信州松本の片田舎、蕎麦屋の暖簾を二人の初老の紳士がくぐった。一人は「信州松本の民芸家具の創始者」 池田三郎氏。もう一人は「大原美術館の創始者 大原孫三郎」の後継者 であり「倉敷紡績社長」の大原總一郎氏。そしてこの人こそが "あずみそば"の歴史を創った人物である。大の蕎麦通として全国津々浦々、 旨いと言われる蕎麦を食べ歩いていた大原氏にとって、地元倉敷に 本物の蕎麦屋を作り、いつでも大好きな蕎麦を食すのが 永年の夢であった。しかし、求める蕎麦に巡り合う機会がないままに、 松本の間口一間程の蕎麦屋に入った。そこで「これこそが自分の探し求めていた味だ」と、気が付けば六枚の盛り蕎麦をたいらげていた。 これが大原氏と"あずみ"(吉村慶二郎氏)の出会いである。
こうして約二年間に渡り、決して無理強いは せず、三顧の礼をもって吉村夫婦を倉敷への誘いようやく昭和41年6月、 倉敷美観地区に出身地、信州"安曇野"の地名から名付けた「あずみそば」が誕生した。
その後、吉村氏は、昭和51年9月に、目黒区中目黒に「あずみ」を開店、昭和63年10月に山手通り(環状6号線)拡張の為に惜しまれながら閉店となりました。
伝承信州内藤流の手打ち蕎麦とは、日本唯一の流儀を持つ手打ち蕎麦で、その昔、信州佐久郡の内藤某なる武士が棒術を以てそばを打ち、時の将軍家に献上したと言う故事により、長野県下屈指の「手打そば」の名手内藤峰吉翁が更に苦心、工夫を加え信州の民芸としてのその手打そばを作り上げました。創始者内藤翁より、吉村慶二郎氏が内藤翁の遺徳継ぎ、至難とされた早打ちの打法を加えた、唯一の伝承人です。
上石神井のあずみの小林氏は、故吉村 慶二郎氏の指導を受けた、唯一の正統なる流儀保持者であります。
以上の「故吉村 慶二郎氏」と「信州内藤流」のお話は、生前の吉村氏と現在も親交のある奥様に聞いた話を、まとめてみました。
店名 | 内藤流手打そば あずみ |
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電話番号 | 03?929?6088 |
住所 | 東京都練馬区上石神井4丁目4-22 |
アクセス | 西武新宿線 上石神井駅北口下車、バス通り徒歩4分 |
営業時間 | 11時~20時 月曜~金曜は、3時半~5時迄 準備中 |
定休日 | 水曜日 |
平均的な予算(昼) | 昼 夜とも 680円~1850円 |
平均的な予算(夜) | |
予約 | 可 |
クレジットカード | 不可 |
個室 | 無 |
席数 | テーブル席4人X3 2人X2、小上がり席含め 約20人 |
駐車場 | 有 店舗の向かい側に2台 |
禁煙 | 禁煙 |
アルコール | 日本酒530円 ビール中瓶530円 |
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